babyco編集長。書籍編集者。
新潟の山奥で肉用牛を飼育しながら、野菜やくだものを育てる祖父母のお手伝いをきっかけに、丹精込めて作られた食材のおいしさ、食べることや命の大切さを学ぶ。特集記事、離乳食やママごはんなど幅広く担当。ママ・パパの気持ちに寄り添った記事の制作を心がけている。
子どもの教育というと幼児教室や知育おもちゃが思い浮かびがちですが、じつは「自然遊び」も教育と深く関わっていることにお気づきでしょうか。
ママとのお散歩中に聞いたそよ風の音、パパとみっけ!して触れた虫の記憶。そんな自然とのふれあいが、子どもたちの知的好奇心に結びついていくんです。
幼稚園や保育園の先生たちに向けて“自然遊び研修”を行なっている、ウレシパモシリ -保育と自然をつなぐ研究会- 主宰の高橋 京子先生をお招きして、保育の現場に自然遊びの大切さを伝え続けている理由や、子どもの教育とどう結びつくのかを伺いました。
自然保育コーディネーター。ウレシパモシリ -保育と自然をつなぐ研究会- を主宰。都内の公園でもできる身近な自然を活かした遊びを創作。独自の自然遊びで子どもの五感を刺激し、感性をはぐくむ重要性を保育研修会や講演等で伝えている。
babycoでは、ママたちの関心が高い“子どもの教育”的な目線でも、自然遊びの大切さを伝えていきたいと思っています。
高橋先生は、講師として幼稚園や保育園の先生たちに自然遊び研修を行なっていますが、先生たちに自然遊びの大切さを伝えたい!と思ったきっかけは何でしょうか。
今年で10年目を迎える『ウレシパモシリ -保育と自然をつなぐ研究会-』を始める前は、私の地元である埼玉県狭山市の稲荷山公園という公園で『もりのようちえん』を開催していました。
その活動では、春夏秋冬の移りゆく季節を楽しみながら、親子のふれあい遊びや、草花や木の実や小枝で遊んでいました。ママやパパも安心できる“五感を通した身近な自然遊び”をやっていたんです。
都会は土もなくアスファルトなので、子どもが転んだりケガをしたりするのをとても恐れるママたちもいたんですね。なので、親御さんが安心できて楽しめるということも大切にしていました。
身近な自然遊びなら、よちよち歩きのお子さんでも自分の目線で出会える。そうやって子どもと自然を近づけて、教えるのではなく“出会わせる”きっかけづくりを続けてきて…。
ずっとやってきて、こんなに子どもたちが変わるんだ!という姿を見てきましたし、なにより、そこに通う2歳くらいのお子さんのいるママたちが、自分の子どもが自然のなかで思いきり遊ぶ姿を見て
「転んでもいいんですね」
「汚れてもいいんですね」
って自然遊びの大切さに気がついてくださったんです。「うちの子のこんな笑顔をはじめて見ました」って涙ぐむママもいて、やっぱり自然遊びの大切さを伝えていくのは必要なことだと。
そして、ママやパパと同じくらい、子どもたちと多くの時間を過ごすのが幼稚園や保育園の先生たち。先生たちに、日々の保育のなかで五感を通した身近な自然遊びを取り入れてもらえたら、子どもたちが目にするものや出会うものが変わってくるなと思ったのがきっかけで、自然遊び研修をやらせていただいています。
「公園で子どもと何して遊ぶ?」で悩まない!大人も夢中になる身近な自然遊びのアイデアでは、最近のママやパパには自然遊びの知識や経験が少ないというお話をしてくださいました。
研修で先生たちとふれあっていても、同じように感じることはありますか?
そうですね。ママやパパもそうですけれど、若い先生たちも自然遊びの知識や経験が少ないように感じますね。
ただ、最近は都会の保育園のなかには、ビル内にあることもありますよね。だから近くの児童公園へお散歩しに行くけれども、落ち葉があればきれいに掃除されていたり、石ころが落ちていたら「危ない」という理由で排除されていたりします。
そんな限られた自然のなかでは、先生たちもどうしたらいいかわからないというのも、仕方がない気がします。
そうした場所で保育をしている先生たちには、自然の考え方や遊び方をどんな風に伝えているのですか?
「自然をかたまりで見ずに、ちょっと立ち止まってじっくり見てみましょう」という風にお伝えしていますね。
例えば、葉っぱを“緑”としてかたまりで見ている間は見えないけれども、よく見てみると同じ緑でも葉っぱの色や形がみんな違う。
いろんな葉を並べてみて、香りをかいで、触って感触の違いも確かめてみる。そうやって五感を使いながら遊び込むことで、同じように見える葉っぱの違いを感じ、“見る力”が“見極める力”にもつながるんですよと。
あとは、朝の会やお散歩中に目を閉じながら鳥の鳴き声をじっくり聞いてみたり。天気がよければ、お空をながめながらゆっくりと風になびいて動く雲の姿を見てみたり。
自然は身近にないと思うと見えないけれど、なくはないんです。太田さんの周りには、どんな自然があると思いますか?
お空とか…虫、池、木、お花もありますね。でも具体的な名前は出てこないなぁ。私が住んでいるところは、東京でもわりと自然豊かな場所なんですが、きっと私も自然をかたまりで見てしまっているのだと思います。
身近な自然ってどんなものがあるだろう?と探すことから始めても楽しそうですね。
先ほど、もりのようちえんを開催するなかで「こんなに子どもたちが変わるんだ!という姿を見てきた」とおっしゃられていました。高橋先生が見てきた子どもたちについて、印象深いお話はありますか?
雨の日の自然遊びとして、小雨でしたらカッパを着て小さなカップを手に持ち、どのくらいきれいな雨を集められるかをやってみたりするんですね。
あとは、“カツラ”という水をはじく葉があるんですが、カツラの葉にスポイトで水を垂らして、葉の表面をコロコロ転がるようすを見てみるんです。晴れの日なら、おひさまに当てるとキラキラ光ってすごくきれいですよ。
こうした雨や水を使った遊びをしていると、雨上がりなどに子どもたちが「しずくがどこにあるのか?」を探し始めるんです。それに、自分でちっちゃなカップに水を入れて、どの葉っぱがはじくのか、はじかないのかを自分で試す遊びを始めるようになります。
そんな遊びをいっぱいくり返していたら、ママとお風呂に入ったときに、ホースについているしずくを見て「しずくちゃんがいた!」って言ったというお子さんがいましたね。
そのお子さんは、遊びのなかで出会った“しずくちゃん”の存在に心が動いて、いろんなところにしずくちゃんがいることに気がつき始めたのかなぁと。とても心が豊かで、気づくアンテナが育っていますよね。
いつかきっと、「しずくちゃんが集まったら何になるんだろう?」というギモンが“水たまり”につながって、水の巡りにも想いをふくらませていくのではないかと。
最初に知識があるのではなく、日常の生活や遊びのなかでゆるやかにつないであげると、心豊かで知的好奇心が高いお子さんになるんじゃないかと思いますね。
自然って不思議ですよね。水ひとつとっても形が変わるだけで「しずく」や「みずたま」になったり、空から降るだけで「雨」になったり。生活のなかで何気なくその変化を受け入れているけれど、改めて考えると、そういう気づきも面白いですよね。
今の「しずくちゃん」のお話は、そのお子さんにとって大きな学びになったのではないかと思いました。ただ、私は“教育”も意識しながらこうして高橋先生のお話を聞いているので、自然遊びと教育がだんだん結びついてきましたが、親御さんのなかではなかなか結びつきにくいかもしれないですね。
よく「自然豊かな場所で子育てをしたい」と考えている親御さんをお見かけしますが、その理由って何だろう?と。「環境がいいから」と言うけれど、その“いい環境”ってどういいのだろうと思うことがあって。
おそらく、学びにつながるからというよりは「子どもが思いきり体を動かせるから」「空気がきれいだから」などの理由が多いのではないかなと思うんです。
自然遊びが子どもの学びにつながることをママやパパにお伝えできたらと思うのですが、ちっちゃいときからの自然遊びと教育って、具体的にどんな風に結びつくのでしょうか?
子どもの教育のためには、全国のママやパパに自然遊びの見方や考え方を改めてとらえ直していただくきっかけが必要だと感じています。今回、babycoさんの取材をお引き受けしたのも、そのお役に立てればと思った次第なんです。
今までは、いい学校に入るためにはいろんな知識を正確に覚えることが必須条件でしたよね。けれど、これからの時代はAIが活躍して、そういった“知識”や“正確さ”は全部AIがやってくれるようになる。今5歳の子が25歳になったとき、随分と社会構造が変わっているはずです。
そうした未来に、人間として何が大事か?って言ったら、ただ上から知識を教えられて一方的に受け取る教育ではなく、“自分で問うて学ぶ力”です。
出会ったモノやコトに対して、自分で感じて、考えて、行動を起こしていく力。その根っことなる力は、すでに乳幼児期の自然遊びのなかにたくさんあると感じています。
子どもって、大人が降参だ〜!ってなるくらい「なんで?」「どうしてなの?」って聞いてくることがありますよね。それって、自分が出会ったモノやコトの、その答えをさらに見つけていこう!としている大切な瞬間なんですね。
そうそう。よく、保育の現場では“主体的な保育”と言われているんですが、まずは自分で感じる。そして感じるからこそ問いが生まれる。
感じて、試して、考えて、考えたことをいろいろやってみて、ああでもないこうでもないと試行錯誤する。その結果、できなかったりうまくいかなかったりすることもあるけれど、そのあとに再び試してできたこと、見つけられたこと、つながったことというのは、確実に脳に成功体験として「こうしたらいいんだ!」という回路ができますよね。
その脳の回路をつくるスタートが、いろんな自然遊びのなかで感じて、問うて、考えて、試して、学ぶことなのではないかと、私は子どもたちの遊ぶ姿から気づかされました。
ママやパパには、近くの公園にある何気ない葉っぱや石ころで、十分そのきっかけができることに気づいてもらいたいです。お子さんの可能性や豊かな心をはぐくむために多様な命と出会わせるのは、近くの公園でもできるから大丈夫。
自然遊びは、遊び方を知っても英語が話せるようになるわけではないし、結果がすぐに目に見えるわけではありません。だからお子さんの目先の成果だけを急いで求めてしまうと、自然遊びを熱心にやっている園があっても、選んでもらう選択肢のなかになかなか入っていけないという現実があります。
これからの時代には、自然遊びを通してはぐくまれる“自分で問うて学ぶ力”が子どもたちには必要になってくると感じています。
もうひとつ、教育的なことで大切だなと思うのは「自然と生きる」ということです。
小さな子どもに、自然の生きものにも命があるということを伝えるのは難しい気がしますが、高橋先生はどんな風に伝えていますか?
生きものの命についても、やっぱり遊びを通して伝えていますね。「人間と同じように呼吸をしていて…」なんて言っても小さな子どもはわからないので、自然となかよしになるために“自然にもごあいさつ”をするんです。
「今日遊ぶ木にごあいさつをしよう」と言って、木に向かって「おはよ〜!」って声をかけるんです。たまたま木が風でゆれると「木もおはよ〜!って返してくれてるね」って。
そういうやりとりを毎回やっていくと、ちょっと風で葉がゆれると子どもたちが「はっぱがごあいさつしてくれた!」と言うようになって、子どもたちが自然と“なかよし”になっていきます。子どもたちの豊かな想像力をはぐくむきっかけにもなりますよ。
あとは、自然に愛着を抱くきっかけになる目玉をつける遊びも“存在を大切にする”という気持ちにつながります。自分で見つけた石に名前をつけて、目玉をつけたら、自分でなかよしになったものは投げません。
遊びのなかで命の存在を伝えていくんですね。「動物にも心臓があって…」なんて、難しく考えてしまっていました。
子どもには、“自然となかよく”という感じで命があることをちょっとずつ伝えていくといいのでしょうかね。
「自然と生きる」という点で、ちょっと悲しいなと感じた出来事があって。私の祖父母は新潟の山奥で食肉用の牛を育てていて、私も子どもの頃からエサやりの手伝いをしていたので、家畜小屋のにおいに慣れているんですね。牧場に行くと、懐かしいにおいだな〜なんて思ったり(笑)。
でも、「家畜のにおいってくさいんだよね」という意見も見かけて。くさいという印象を抱くのも、わからなくはないです。フンは転がっているし、生きもの特有のにおいもするから、決していいにおいのする環境ではないので。
ただ、私が悲しかったのは、私たちの命をつなぐために自然の生きものと毎日向き合って、お世話をして、いずれ出荷する運命だとわかっていても愛情を込めて育てている人たちのことも「くさい」「汚い」と言われたみたいで、心が苦しくなりました。
小さなときから生きものとふれあっているか、そうした環境で生きてきたかどうかで、大人になってからの自然の感じ方が全然違うなって。
今まではあえて自然を意識しなくても自分の生活は当たり前に維持できると思っていたかもしれないけれど、これからは違いますよね。
実際に、地球温暖化で天気が不安的になって野菜の収穫減が起きていますし、海洋ゴミ問題で海の生きものにも影響が出ています。
牛だって、食べて命をいただいて私たちは生きているわけですから。人間だって、食べたら排泄しますよね。
そういう命のつながりや昔からの習慣的なことを、もう一度話し合うべきなんじゃないかと思いますね。これから生きていく子どもたちは、さらに厳しい環境に入っていくわけなので。
私たちの命は、地球のすべての命の絶妙なバランスのつながりのなかで、支えられて、生かされていること。乳幼児期の身近な自然遊びは、そのことに気づくきっかけにもなると感じています。
子どもたちが、出会ったひとつひとつの草花、小枝、木の実、土、虫、雨、光、風と遊び込むなかで慣れ親しんで、自然の営みやつながりに気づき、“なかよし”になって共存していけるようになるのではないかと。
すごく貴重な環境だったんだなと思います。祖父母はお米も野菜もほぼ自給自足で育てているので、畑の食べものを狙う動物とも向き合いながら命あるものを育てている姿を見ていると、自然の命を大切に、大切にという気持ちになりますね。
大人は先に回って教え込もうとするのではなくて、多様な自然に子どもたちを出会わせてあげるのがいいのかなと思いますね。
ママやパパもお子さんと一緒に自然遊びを楽しみながら、自然と生きることの大切さにも改めて向き合っていきたいですね!
今年も祖父母から大きなスイカが1玉が届きました。2022年は梅雨の期間が短かったので水の量を心配していたけれど、食べた瞬間じゅわっと果汁があふれ出て、とっても甘くておいしかった! もちろん皮のギリギリのところまで食べました。
東京でスイカを待ちわびている娘と孫の存在が、祖父母の活力になっているようです。私たちの命をつなぐ食べものを育てている方たちに「ありがとう」の気持ちを持って、おいしく、無駄なく食べたいですね。
イラスト:木溪 そのみ