元高校教員で、現在はフォトグラファー・ライター。 3歳の娘を育てる父で、子どもの顔写真を毎日撮影するプロジェクトを実行中。 ブログ『23時の暇つぶし』 では、娘の成長記録をパパ目線で発信。
はじめまして。『宗玄さん家の普通だけれど特別な日々』を連載することになりました宗玄です。
このコラムでは元高校教員で現在フォトグラファーの僕が、パパの目線から子育てについて考えていく記事を書いていきます。どうぞよろしくお願いします。
今回は第1回目の記事なので、僕の自己紹介を兼ねて娘が生まれた日のことを書かせてください。
娠糖尿病と妊娠高血圧症候群と診断されていた妻が緊急帝王出産をした1日です。
「週明けに35週の定期検診があるし、二人で病院へ行って相談するでいいんじゃない?今、電話しなくてもいいよ」
血圧が高くなった妻に対して僕が何気なく伝えた言葉が、産まれてくる娘の命に影響を与えることになるとは、その時は思ってもみませんでした。
妊娠20週で妊娠糖尿病と妊娠高血圧症候群と診断された妻。
妊娠33週では血圧が140を超えることもあって、日を増すごとに血圧が上がっていました。
医者から「血圧が150を超えたら連絡してください」と言われていた基準値である血圧150を、その日は超えてしまいました。
とはいえ、妻はいつもと変わらない様子で、妻自身の自覚症状もないとのこと。
お腹の赤ちゃんもいつものように元気に動いている。
日曜日なので担当医も休みだろうし、週明けの定期検診で相談すればいいやと、その日は病院に連絡せずに、ゆっくりと過ごすことにしました。
そして週明けの月曜日。
僕は妻に付き添って35週の定期検診へ行きました。病院の待合室は、ひと目で妊娠しているとわかるお腹の膨らんだ女性や、赤ちゃん雑誌に目を通している女性が静かに過ごしていました。陽光が差し込んだ温かい待合室は、その場所だけがゆったりとした時間軸で動いているかのような、温かい空間でした。
妻も昨日同様に血圧が150を超えているものの、いつもと変わらない体調で「何グラムになったかね?」「血圧高くなっちゃったから入院するかもなあ」なんてことを話していました。
しかし、僕たちの名字が呼ばれて妻と一緒に診察室へ入った瞬間から、その時間軸は大きく変化していったのです。
派手な赤色のパンツを履いた威圧感のある女医は、妻が毎日記録している血圧結果を見るとすぐに
「なんでこんな血圧になるまで家にいたの。薬を投与して血圧が下がらなかったら即入院。場合によっては、本日帝王切開で産むこともあるから」
と、僕たちを叱りつけました。
その迫力に気圧され、ようやく僕は事の重大さを理解したのです。
妻はいつものように会話をし、いつものように歩いているとはいえ、体は正直なものです。
血圧の高さは当然お腹の赤ちゃんに負担がかかることを意味し、栄養の入った血液がへその緒を通って満足に送れていないという現実を伝えられました。
女医の説明とともに、僕は鼓動がどんどんと早くなっていき、頭が混乱していったことを覚えています。
そこからの展開はあっという間でした。
先程まで歩いていた妻は車椅子に乗せられ、別室へ運ばれていき、薬が投与されました。
どういうわけか妻の血圧はどんどん上がっていき、最大で200を超えるようなことも出てきました。僕と妻は完全に別行動になり、僕は待合室でただ待つことしかできません。
そうして時間の感覚もわからなくなった頃、看護師がやってきて
「血圧が下がらないので、これから帝王切開で出産することになります」
と告げられ、緊急帝王切開が決まりました。
混乱している中で妻と対面し、お互いに訳もわからず「ごめんね、ごめんね」と伝え合うと、間もなく妻は手術室へと入っていきました。
陽光に照らされた、穏やかな待合室から3時間後。全く予期せぬ展開の末に、低出生体重児として娘はこの世に生を受けたのでした。
予定日よりも5週間も早く、僕は保育器越しに娘と初めての対面を交わしました。
エコーでは1900g程度はあるかと思われていた体重は、たった1645gしかありませんでした。
小さくて、赤く、細い身体。まだ名前もない産まれたての女の子は、オムツを身につけただけの上半身裸の体に、痛々しく点滴や心拍を計るための管が何本もつけられ、足には私たちの名字が書かれたバンドを巻き、目をつぶって寝ていました。
娘が産まれてきた安堵とともに、自分の軽率な判断と娘への申し訳なさを感じ「ごめんね、ごめんね」と何度も心の中で謝りました。
本来ならばまだ安全で快適な妻のお腹で眠っているはずの小さな体が懸命に呼吸をしながら生きているように感じ、この子が無事に育つためなら何でもしてあげたいと強く思ったことを覚えています。
妊娠35週で急遽緊急帝王切開から出産することになった妻。
妊娠20週で妊娠糖尿病と妊娠高血圧症候群の診断を受け、インスリンの注射を打つなど投薬を続けながらの妊娠期間でした。
毎日インスリンの注射を打って、血圧を測定する日々の中で、ちょっとした気の緩みから、子どもは低出生体重児として産まれてくることになってしまいました。
35週で緊急帝王切開になった原因は、妻の血圧が高くなったことに対してすぐに対応しなかったことで、僕たちの判断さえ正しければ防げることでもあったように思います。
娘はそれから1か月近くをNICUで過ごした後に、医師や看護師さんの対応によって運良く退院することになるのですが、一歩間違えれば母子ともに命を落としていたことでしょう。
血圧が高いことで胎盤から充分な血液が赤ちゃんに供給されず、酸素や栄養が不十分になって発育不全や低酸素が起こりやすくなってしまいます。また、胎盤が剥がれてしまって妻の体内で大出血する可能性があり、最悪の場合は母体の命も危ないと医師には言われました。
そこまで大きな危険が迫っているという実感が湧かないまま、どうせ翌日には通院するからとすぐに病院へ連絡することなく過ごしてしまったことは、今でも大きな問題だったと思っています。
あの時のことを振り返ると、僕たちの対応が違っていれば、緊急帝王切開になることもなく、安全に出産できたのではないかと今でも思います。出産は母体や胎児の命に関わる大きなことなので、医師の話をよく聞き、適切な対応をすることだ大切だと強く感じた出産でした。
突然慌ただしく出産を迎え、あれよあれよと父となった一日。
午前中に35週の定期検診を受診しに行ったはずが、昼過ぎには子どもが産まれていました。その日は、食事もあまり喉を通らず、風呂に入っても心ここにあらずといった状態で、どうにかベッドに横になりました。後悔と興奮で浅い眠りしかできず、夜中に何度も目を覚ました朝方、明るくなってきた空が気になってふいに外に出ると、美しい光と青い空が目に飛び込んできました。
今日の空を覚えておきたい。
そう思い立って、写真を一枚撮ったことを今でもよく覚えています。
これからきっと様々なトラブルに直面し、その都度判断しなければならない場面が出てきます。一人でもなく、二人でもなく、三人になった日に誓ったことを忘れないようにと、変わりゆく空の色を眺めていました。
こうしてはじまった家族3人の生活。父親として、夫としてできることってなんだろう? と育児に奮闘した新米パパの記録をこれから連載でお届けしていきたいと思います。
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PHOTO/宗玄浩