元高校教員で、現在はフォトグラファー・ライター。 3歳の娘を育てる父で、子どもの顔写真を毎日撮影するプロジェクトを実行中。 ブログ『23時の暇つぶし』 では、娘の成長記録をパパ目線で発信。
妊娠高血圧症候群と妊娠糖尿病と診断され、妊娠35週目に帝王切開、赤ちゃんが低出生体重児として「NICU入院生活」を送った日々。
そんな「NICU入院期間」から赤ちゃんが退院して自宅に帰るまでを振り返ったパパ目線の体験談です。
新生児集中治療室の様子を知りたいパパママのお役に立ちますように。
元高校教員で現在フォトグラファーの僕が、パパの目線から子育てについて考えていく連載『宗玄さん家の普通だけれど特別な日々』。
第6回目は、高血圧症候群で帝王切開になった後の「赤ちゃんのNICU入院生活」を振り返りながら、NICU(新生児集中治療室)に入院していた赤ちゃんが、退院して自宅に帰るまでを追ったパパ目線の体験談です。
連載第1回目「妊娠高血圧症候群から緊急帝王切開出産へ」でも書きましたが、宗玄さん家の赤ちゃんは予定日よりも5週間早い妊娠35週で、低出生体重児として生まれてきました。
緊急帝王切開で生まれた体重は1645グラム。
生まれたばかりの赤ちゃんはすぐにNICUに入り、初めて娘と対面したのはNICUの中にある保育器越しでした。
それから26日間をNICUで過ごした後に娘は退院することになるのですが、その日々は僕にとって父になった実感を育んでくれた時間でもありました。
そんなNICUで娘が過ごした26日間をまとめました。
低出生体重児
生まれてすぐにNICUに入って、保育器の中で過ごし始めた娘。
現在のコロナ禍では「NICUには両親も入れない」という病院もたくさんありそうですが、娘が生まれた2018年はそういった制限もなく、毎日決まった時間にNICUを訪れていました。
出産後で入院中の妻(帝王切開の影響で下腹部を痛がっていたなぁ)と病室の前で合流し、NICUの入口で
入念に手を洗う
▼
マスクや清潔エプロンを着用
▼
入室
していました。
二重扉になっている病室に入ると、NICUのもつ独特の緊張感を強く感じました。
静寂の空間の中でときどき脈拍の測定モニター音が大音量で響いてビクっとしたり、妻と話す声も思わず小声になったりと、生が当たり前ではない空間の張り詰めた雰囲気を勝手に感じていまいた。
保育器の役割は「体温&湿度調整」と「感染予防」。
寒さを感じやすい赤ちゃんのために保育器内を30度に設定して温度管理をしたり、器内に酸素を多く入れたりしています。
そのため赤ちゃんはオムツのみで上半身は裸の状態。
赤ちゃんは管に繋がれて脈や鼓動を測定し、なにかあるとすぐに近くにいる看護師さんが24時間駆けつけてくれるといった万全の体制でした。
最初の数日は、僕たちは保育器越しの赤ちゃんを眺めることしかできず、看護師さんが保育器に手を入れて赤ちゃんを抱え、ミルクを飲ませてくれていました。
数日後には自分たちも保育器の中に手を入れて赤ちゃんに触れられるようになるのですが、その小さな体にどうやって触っていいのかわからず、我が子ながら恐る恐る触れるような心境でした。
自分の子どもにドキドキしながら触れるといった非常に情けない状態なのですが、これが正直なところでしたね。
生後10日が経って娘に名前をつけると、
🍼お名前が決まりました👶
と保育器に可愛いイラストを添えたシールを貼ってくれる気遣いがあって、看護師さんの温かさに安心感を覚えたことも思い出に残っています。
生後1週間が経って妻は退院。二人そろってNICUに行くと、白い服を着て、保育器から出てベッドに寝ている娘がいました。
まったく知らされていなかったので驚いたのも束の間、初めて赤ちゃんにミルクをあげられることになったんですね。
小さな娘を膝に抱えてミルクを飲ませようと、手のひらで娘の首を支えて体を膝に乗せてみると、興奮が止まりませんでした。
思わず笑みがこぼれ落ちて「すごい、すごい!」と何度も妻に話しかけたあの瞬間を今もハッキリと覚えています。
自分にとって初めて我が子を抱えた手の感触、初めてミルクを飲ませた感覚。
その体の線の細さとは対照的に、ミルクを強く求める逞しさ。
その時の体重は1720グラム。
小さな体だけど勢いよく飲んでいくミルクが、その勢いの割に少しずつしか無くなっていかない様子がなんとも愛らしかった。
現在のコロナ禍では、退院時に初めて赤ちゃんと対面するというパパも少なくないでしょう。
初めて抱っこしたときの多幸感とヒヤヒヤは、きっとあなたの記憶に残り続ける特別な瞬間になるはずですよ!
自宅で妻が母乳を搾乳して凍らせた母乳を届けたり、ミルクを赤ちゃんにあげたり、オムツを替えたりと、NICUに通って娘と過ごす毎日。
NICUでは、赤ちゃんにあげるミルク量が正確に決められていました。
まず赤ちゃんに母乳を飲ませ、決めた量に足りない分はミルクを作るといった流れで赤ちゃんにミルクをあげるのですが、驚いたのが赤ちゃんがどれくらいの母乳を飲んだのかを計る方法。
そうです、赤ちゃんが母乳をどれくらい飲んだかなんて見ているだけではわからないんですよね。
まず妻が授乳させる前に1グラム単位でわかる体重計に赤ちゃんを乗せて体重測定し、授乳後にもう一度体重計に乗せます。 赤ちゃんは1グラム単位で体重が変わっているんですよね。
冗談のような本当の話なんです。ミリリットル単位の微量をコントロールしながら体重を計ったり、ミルクを作って飲ませていました。
と医師に告げられてから、10グラム単位で少しずつ増えていく体重。
24日目に「明後日退院になるかと思います」と告げられたときは、楽しみで仕方ありませんでした。
退院するときは赤ちゃんとタクシーで帰ろう、友人からもらっていた白いセレモニードレスを持ってこよう、家に着いたら赤ちゃんが寝る場所を整えなきゃ…。
哺乳瓶やオムツの用意をしたり、沐浴のシュミレーションをしたりと急に慌ただしくなったのもうれしい悲鳴でした。
退院する日は、26日間お世話になった医師や看護師さんにお礼を伝えて病院を後にしました。
担当してくださった看護師さんが娘の足形や成長曲線を書いた「退院おめでとうカード」を作ってくれて、夫婦共に感動しながら退院。
妊娠高血圧症候群と妊娠糖尿病と診断されてから、緊急入院、帝王切開、そしてNICU入院期間、めまぐるしくも忘れがたい日々。
妊娠期間中の妻は、毎食後にインスリンの注射を打ったり、血圧の異常値から緊急帝王切開になったりと、本当に大変な日々でした。出産後もまだ帝王切開の傷口が痛むらしいし…。
そんな妊娠と出産を乗り越え、娘を自宅に迎えられたことに、本当に感謝しています。やっぱり母は偉大ですね。妻と二人で娘の成長を育んでいけることが、とても楽しみです。
そうそう、入院中にはアクシデントもありました。
その日は仕事の都合で面会終了ギリギリの時間になってしまい、電車を降りて病院までの道を走っていました。
ところが、駅の構内からエスカレータを降りようとしたそのとき。
”グサリ”
とサンダルがエスカレーターに引っかかって左足の親指を擦ってしまい、大量の出血が…!!
痛すぎます。
とりあえずそのまま痛みをこらえてNICUの前まで行ったものの、さて、どうしよう?
無菌状態を保つためにマスクや清潔エプロンを着用しているのに、出血はまずいよなあと入室を躊躇していると、看護師さんが気づいて声をかけてくれました。
看護師さんがすぐに対応をしてくださり、そのまま左足の治療をしてくれました。
さすがプロ。素敵すぎる。最高! と思っていると、
おや? 怪我をした僕のもとへ、わざわざ娘を連れてきたではありませんか。
「ねえねえ、なんでパパがケガしてると思う?(笑)」
「パパ、血だらけで走ってきたんだってよ(笑)」
「おもしろいよねぇ」
あのときの看護師さん。
その節は、クスクス笑いながら娘に語りかけて治療してくださって、ありがとうございました。クスクス笑っていましたが、すべて、すべて、すべて、100%感謝しています。
NICU(新生児集中治療室)入院期間まとめ
<出産当日から数日間>体重1645g
▶︎NICUに入り、保育器ごしに赤ちゃんと面会
<4〜5日目>
▶︎保育器に手を入れて赤ちゃんを触れ合えるように
<7日目(1週間)>体重1720g
▶︎帝王切開だった妻が退院
▶︎赤ちゃんは保育器から出てベッドで睡眠
▶︎初めて自分たちで赤ちゃんにミルクをあげた
<12日目〜>
▶︎母乳を飲ませ、不足分をミルクを足して授乳
<24日目>
▶︎体重目安2300グラムに達したら、明後日退院と告げられる
▶︎哺乳瓶やオムツの用意をしたり、沐浴のシュミレーションをしたりと、退院の準備
<26日目>体重2300g越え
▶︎赤ちゃんの退院
不安で始まったNICUの入院生活でしたが、病院の手厚い支援によって娘は無事に退院することができました。
コロナ禍が落ち着いたら、あの時お世話になった医師や看護師さんたちに、大きくなった娘を連れてお礼を伝えに行きたいですね。
次回は、退院して娘を自宅に連れて帰った日のことを書きたいと思います。
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CLICK▶︎妻が妊娠。そのとき夫にできることって?
CLICK▶︎妊娠高血圧症候群から緊急帝王切開出産へ
CLICK▶︎NICU(新生児集中治療室)入院から退院までの26日間のこと
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PHOTO/宗玄浩